近年日本でもよく見かけるようになったモロヘイヤ。
濃い緑色とねばねばした食感が、いかにも栄養満点のようで、旬の夏には特にモリモリ食べたい野菜です。
エジプトではモロヘイヤは細かく刻んでチキンなどで取ったスープに溶かして食べ、シリアなどのシャーム地方では乾燥させたモロヘイヤを煮浸しのようにして調理し、チュニジアでは乾燥させたモロヘイヤを粉末にして用いるなど、それぞれの地域で調理法は異なりますが、アラブ・中東地域でも非常によく食べられています。
モロッコでは、モロヘイヤはなくて、オクラのことをモロヘイヤと言うんですって。

日本語でモロヘイヤの起源について調べると、概ねこのように説明してあります。
モロヘイヤは古代エジプトの時代から食べられており、古代エジプトの王様がモロヘイヤで病気が快復したことから、アラビア語で「王様だけのもの」という意味がある。クレオパトラも好んで食べた。
しかし、これらの説明には疑問が生じます。
まず、アラビア語で「モロヘイヤ(ムルーヘイヤ)」という言葉に王様という意味はないこと。
そして、古代エジプトにはアラビア語は存在していなかったということ。
モロヘイヤは王様という意味説については、このような説明があることがあります。
モロヘイヤは、王様という意味の「ムルーキーヤ」がなまったもの
確かにこれだとアラビア語に「王様の」という意味があります。
しかしながら、古代エジプトの時代にはアラビア語が存在していなかったので、この説もどこかしっくりこない部分があります。
ということで、調べてみました。
特に断りがない限り、基本的にはアラビア語で調べています。
モロヘイヤにまつわる話で最も有名なのが、ファーティマ朝第6代目カリフ「ハーキム」(在位985~1021)が行った政策です。
彼は極端な政策を次々と行ったことでも知られ、その一つがモロヘイヤ禁止令。
敵対関係にあるスンニ派のウマイヤ朝のカリフの好物がモロヘイヤだったことを嫌悪して、モロヘイヤを食べることを禁止したというのです。
この話はアラビア語で非常によく目にします。
少なくともこの時代にはエジプトでモロヘイヤが食べられていたのでしょうか。
余談ですが、このハーキムを神格化するドゥルーズ派という宗派の人々は(ドルーズはイスラームの宗派ではないとする見方もある)、ハーキムに倣い、現在でもモロヘイヤを食べないようです。私のドルーズの友人に聞いたところ、彼自身はモロヘイヤは食べるようですが、親戚など、まわりの人は食べない人が多いとのこと。
アラビア語で王様のと言う意味の「ムルーキーヤ」説については、以下のような話があります。
ファーティマ朝4代目カリフ「ムイッズ」(在位953~975)が酷い体調不良に悩まされていたところ、医者から治療としてモロヘイヤを食べるように言われ、その後回復し、この食べ物を自分と側近だけのものにしたかったので「ムルーキーヤ」と名付けたとのこと。
この説は「メソポタミアとシャームにおける食物文明」という本の他、非常に多くの媒体で確認することができます。

なるほど、ムルーキーヤ、すなわち王様の、という意味の“王様”は、ファーティマ朝のカリフのことで、古代エジプトとは何の関係もないことが分かりました。
古代エジプトとモロヘイヤについてはどうでしょうか。
いくつかある説の一つが、以下のようなもの。
古代エジプトではモロヘイヤは有毒だと考えられていた。当時はモロヘイヤのことを「ヘイヤ」と呼んでいた。ヒクソスがエジプトに侵略し、有毒植物あるモロヘイヤを住民に食べさせようと「ムルー・ヘイヤ(ヘイヤを食べろ)」と言った。食べてみると、この植物に毒がないことがわかった。
※モロヘイヤには種子や茎などに毒があります。日本で販売されているモロヘイヤは毒はないようですが、家庭菜園などで収穫したモロヘイヤ等はご注意ください。
ただし、この説は非常に曖昧で、媒体によってはエジプトで食用のモロヘイヤの栽培が始まったのはファーティマ朝のムイッズの時代とする説、ファラオの墓にも描かれていると考えられるとする説など、諸説あるようです。
2009年発行「ファラオの台所のレシピ」という本があります。この本は古代エジプト時代から食べられてきた食材やレシピが詳しく載っています。ただしレシピに関しては、トマトが材料に登場するなど、古代エジプト時代の調理法を再現した、というわけではないようですが。(トマトが食用とされるのは18世紀頃)

この本にモロヘイヤを使ったレシピは登場するものの、「古代エジプトにおける野菜と果物」という説明のページには、モロヘイヤについて記述は見当たりません。
2010年にカイロアメリカン大学出版から、この本の英語版が出版されています。
こちらには、
古代ギリシャ時代の植物学者テオプラストスが、モロヘイヤについて「乾燥させてすり潰し、動物に与える」と描写している
と付け加えられています。
同じくカイロアメリカン大学出版から2006年に発行された「An Ancient Egyptian Herbal」という本は、題名の通り主に食用の植物が詳しく掲載されていますが、この本にはモロヘイヤに関する記述は見当たりません。

うちにあるたった2冊の本(英語版も入れると3冊)で判断するのも安易ですが、おそらく古代エジプト時代の食用としてのモロヘイヤの記録は存在していない(まだ発見されていない)のではないでしょうか。
よくある日本語の説明のように、古代エジプトの王様が好んで食べたとか、クレオパトラも好きだったとか、そういった記録やその可能性があるのなら、どこかしらに掲載されてもいいような気がします。
というわけで、日本語でよく見かけるモロヘイヤの起源についての記述は、疑問が多いようです。
ただし、今回はアラビア語で調べましたが、アラブ・中東地域に関することだからと、アラビア語だけで調べるのは必ずしも良い方法ではありません。
分野によっては海外での調査や研究が進んでおり、英語やフランス語、ドイツ語等の方が詳しく、より正確な場合もあります。
また、今回調べただけでもここには書ききれないほど非常に多くの説があり、話と話が絡みあっていることも多かったです。
残念ながら私には目にした一つ一つの説を検証する術はありません。
日本語でのモロヘイヤの説明がこぞって(かなり信頼できる機関・団体も含めて)「モロヘイヤは古代エジプトで…」であるということは、どこかしらにその根拠となるものがあるのではないかと思います。
・中世のモロヘイヤ料理
今のところ、現存するアラビア語で書かれた最古の料理書がイブン・サイヤールの「料理の書」。彼は10世紀後半のバグダードの知識人で、アッバース朝のカリフのための料理をまとめたのがこの「料理の書」です。

この本の第60章「シンプルで手の込んだ野菜料理」にモロヘイヤを使った料理が掲載されています。
マアムーンのための野菜とレバー、砂肝の料理
鶏のレバーと砂肝を火が通るまで茹で、水分を抜く。他の鍋に鶏の脂とオリーブオイルを入れる。玉ねぎのみじん切り、砕いたコリアンダーシード、水に浸けて砕いたひよこ豆、ニッケイ、少量の水を加える。鍋を熱した炭の上に置き、玉ねぎとそのほかの材料を火が通るまで炒める。火の通ったレバーと砂肝を鍋に加える。適当な量のモロヘイヤとスイスチャードを取り、茹で、水気を絞り、黒コショウ、コリアンダーシード、挽いたニッケイ、刺激のある粉チーズと一緒につぶす。脳のようになるまですりつぶす。鍋に入れ、よく混ぜる。沸騰させる。卵黄10個を少量のムッリー(発酵したソース)と一緒に泡立てる。卵黄を鍋に注ぎ、よく混ぜる。卵白10個を少量のムッリーとニッケイと一緒に泡立てる。料理の表面に注ぐ。かき混ぜない。卵白が固まったら、大きな皿にひっくり返す。ひき肉を詰め揚げたサンブーサと一緒に供する
このレシピは非常に手が込んでいますが、カリフのための料理と言うことなら納得です。
13世紀のシリアの料理書「最高の料理と芳香の描写に関する最愛の人との関係の本」
には、4種類のモロヘイヤの料理が紹介されています。

第6章にあるモロヘイヤのレシピのうちの一つを紹介します。
肉を小さく切り、いくらかの肉をたたく。コリアンダーの葉を刻み、玉ねぎ、辛いスパイスを肉に加え、よい肉団子をつくる。シナモンとマスティカを加える。残りの肉を半分火が通るまで茹でる。みじん切りにした玉ねぎ、コリアンダーの葉と一緒に砕いたニンニク、こしょう、コリアンダーシード、塩、キャラウェイと一緒に炒める。羊のお尻の脂を加え、肉が色づくまで炒める。肉団子を加え、火が通るまで炒める。肉のゆで汁を加え、沸騰させる。モロヘイヤを細かく刻み、鍋に加え沸騰させる。薄くても濃くてもよくない。塩味でも辛くてもよくない。
現在エジプトで食べられているような、ドロッとしたタイプのモロヘイヤです。
エジプトの本については、マムルーク朝時代の13世紀から14世紀に完成したと思われる「多様な食卓における利点の宝庫」があります。

この本にもいくつかのモロヘイヤのレシピが掲載されています。
第8章には肉を使わない料理が掲載されていますが、その中にもモロヘイヤがありました。
ムザウワラ・モロヘイヤ
モロヘイヤ、ごま油、マスティカ、シナモン、玉ねぎ、ドライコリアンダーシードが必要である。玉ねぎをごま油で炒め、そのほかの材料も一緒に炒める。
ムザウワラは、アラビア語で偽物の、というような意味ですが、この時代には肉なしの料理のことをムザウワラートと呼んでいたのだとか。
(ムザウワラートはムザウワラの複数形)
ファラオの時代にモロヘイヤを食べていたかについては怪しいですが、10世紀ごろにはすでに様々な調理法で食べられていたようです。
(一般庶民が食べていたかはわかりませんが…)
現在は、モロヘイヤを様々な調理法で食べる、ということはあまりなく、エジプトなら刻んだドロドロタイプ、シリアなら煮浸し風など、地域によって限られた方法で調理されるのが一般的です。(もちろん地域によって多少のバリエーションはありますが)
モロヘイヤについては歴史が浅い日本の方が、モロヘイヤ料理のバリエーションは多いように思います。
それでも、クレオパトラはモロヘイヤは食べていないと思うんだけどなぁ。
モロヘイヤ専門のウェブメディア『モロラボ』で、モロヘイヤの起源について古代エジプト研究者の橋本ゆきみさんと対談しました!